歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)とされるが、古今集のテクストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。「君が代は」の型は『和漢朗詠集』の鎌倉時代初期の一本に記すものなどが最も古いといえる(巻下祝、国歌大観番号775番)[3][4]。
和漢朗詠集においても、古い写本は「我が君」となっているが、後世の版本は「君が代」が多い。この「我が君」から「君が代」への変遷については、初句「我が君」の和歌が、古今和歌集と古今和歌六帖以外にはほとんどみられず、以降の歌集においては初句「君が代」が圧倒的に多いことから、時代の潮流で、賀歌の「我が君」という直接的な表現が、「君が代」という間接的な表現に置き換わったのではないか、と推測されている[5]。
なお、古今和歌六帖では、上の句が「我が君は千代にましませ」となっており、古今和歌集も古い写本には「ましませ」となったものもある。また写本によっては、「ちよにや ちよに」と「や」でとぎれているものもあるため、「千代にや、千代に」と反復であるとする説も生まれた。[5]
解釈 [編集]
国歌の原歌が、古今和歌集の賀歌であるため、そもそも「我が君」の「君」が天皇であるのかどうか、ということがしばしば問題にされる。
古今和歌集収録の歌として、ごく一般的な「君」の解釈を述べるならば、「君は広くもちいる言葉であって、天皇をさすとは限らない」ということであり、それ以上はなにも断定できない。[6]。
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ところで、古今和歌集巻七の賀歌22首のうち18首は、特定の個人[注 2]の具体的な祝い(ほとんどが算賀だが出生慶賀もある)に際して詠まれたものだが、最初の4首は読み人知らずで、作歌年代も古いと見られ、歌が作られた事情もわからない。その中の1首で、冒頭に置かれたものが「君が代」の原歌である。したがって、この「君」は特定の個人をさすものではなく、治世の君(古今和歌集の時代においては帝)の長寿を祝し、その御世によせる賛歌として収録されたものとも考えられる。[7]。
しかしこれは、あくまでも古今和歌集賀歌として収録されたこの歌への考察であり、『和漢朗詠集』になってくると、朗詠は詠唱するものであり、どういう場で詠唱されたかという、場の問題が大きく出てくる。さらに後世、初句が「君が代は」となり、さまざまな形で世に流布されるにつれ、歌われる場も多様となり、解釈の状況が変わっていくことは後述する。
ちなみに、そういった後世の状況の中にあっても、はっきりこの歌の「君」が天子である、とする注釈書も存在する。続群書類従第十六輯に収められた堯智の『古今和歌集陰名作者次第』[注 3]である。堯智は、橘清友の名を出して、初句を「君か代ともいうなり」とし、「我が大君の天の下知しめす」と解説しているので、少なくとも17世紀半ば、江戸時代前期において、天皇の御世を長かれと祝賀する歌である、とする解釈が存在したことは確かである。[2]。
古今和歌集に限らず、勅撰集に収められた賀歌についてみるならば、「君」の意味するところは、時代がくだるにつれ天皇である場合がほとんどとなってくる。勅撰集の賀歌の有り様が変化し、算賀をはじめ現実に即した言祝ぎの歌がしだいに姿を消し、題詠歌と大嘗祭和歌になっていくからである。こういった傾向は、院政期に入って顕著になってくるもので、王朝が摂関政治の否定、そして武家勢力との対決へと向かう中で、勅撰集において天皇の存在を大きく打ち出していく必要があったのではないか、とされている